●ドラゴーネはベガスを信じている LVRJから
フランコ・ドラゴーネは、まだラスベガスの観客を高く評価している。このところ、かれはすこぶる寛大である。
多くの人々のように、ベルギー人の監督は、1990年代はより良い10年間だった。1993年にミスティアを、1998年にОをオープンしたシルク・ド・ソレイユの一部分だった。
ストリップにおける芸術性と知性をレベルアップして、ドラゴーネはシルクを去り、フリーランスになり、 セリーヌディオンのために「ア・ニュー・デイ」を、そしてスィーブ・ウィンのために 「ル・レーブ」を製作した。
「ア・ニュー・デイ」はバタバタしたあとに、修正した。「ル・レーブ」 はいまだチケット購入者を探さねばならないという状態だ。「いつだって新しいことにトライするときは、 失敗と新しいトビラの間である過渡期にいるってことだ。」思いフランス語アクセントで彼はいう。
「私は、セリーヌを変えたかった。わたしは、彼女をトランスフォームしたかった。」しかし、「私は彼女を尊重し、 美しいままに保たねばならない」ということに気が付いた。
「ル・レーブ」はより問題があった。ドラゴーネのショーは、しばしば「シュール」と評される、 彼はウィンとの違いを美術の相似性に置き換えて説明する。「私は、ポール・セザンヌを好み、彼はヘンリ・マチスを愛する。」マチスは「より色彩豊か」であるが、セザンヌは「決して主題を明らかにしない。すべてを語らず、人々をしつこく悩ませる。」
早い目に見た多くの観客達が、「ル・レーブ」をフラシス・ ベーコンの悪夢的作品に似ているということに気づいたということをドラゴーネが思い出した時、彼は、事実に即して、 ベーコンはシルクのツアー作品である「キダム」に影響を与えたと言う。
「ベーコンからセザンヌまで良いのか、それとも悪いのか?」
しかし、十分ではないか?ドラゴーネは、台風の犠牲者を象徴する魚網にとらわれた妊婦と不気味な彫像を「ル・レーブ」 から取り払わなければならなかったことを嘆く。
「私が人々に言っていることは、私は98年の私と同じではないということだ。私は、9・11を見た。イラク戦争も、 カトリーナも見た。私は、起こった全てを見てきた。私も成長した。そうだ、確かに「ル・レーブ」は暗い。でも、どうしていけない?」
よい質問。それは、私達をラスベガス聴衆におけるドラゴーネの信念へと導く。「ラスベガスにいる私達は、 世界の一部であることができるか?あるいは、ただパーティする島としてのラスベガスにいる必要があるか?」と彼は尋ねる。 「ラスベガスは今はもう砂漠ででなく世界の一部である」。
彼は、3人の「Le Reve」出演者が、「これは私達の若さである」 (ウィークデーにラスベガスの小さな劇場で上演されたケネス・ローナガン劇)に出演しているいるという事実を誇っている。
彼は、非常にたくさんのシルクの演技者が最終的にベガスで家を購入していることを誇っている。
彼は、ここでオペラを上演したいと思っており、観光客が、それを見るためにお金をだすことを確信している。私は、 彼に空気より軽いコメディ「ザ・プロデューサー」が観客の集中持続時間への信頼不足のために、90分にカットされることを思い出させた。
この最も低いレベルに合わせるアプローチは、「ラスベガスにとって良くない…後退である」と彼は言う。 「ラスベガスの未来は何だ?大胆さ、向こう見ずさこそが未来だ」
「財布のみの話をするのではなく、人々の芸術の話をすることができる。これが私が考えていることだが、 投資家にとってはいつも良いこととは限らない」と彼は笑って付け加えた。
このドラゴーネさんのインタビューを読んで、なぜ自分が「О」を好きじゃないのかが解ったような気がします。
> セザンヌは「決して主題を明らかにしない。すべてを語らず、 人々をしつこく悩ませる。」
これが、「О」を見ていてイライラする理由なんですね。「何が言いたいねん!なんで、こんなんが出てくるねん!」 とツッコミを入れたくなるような作品こそがドラゴーネさんの狙いなんでしょうが、テーマが明確に現れていないために観客はイライラする。 そういう瑣末なことにはとらわれず、ドラゴーネさんのメッセージを受け止められる人にとっては素晴らしい作品なんでしょうね…(汗)
でも、非日常の世界であるベガスで「悪夢」はみたくないなぁ~。「悪夢」はカジノの戦績だけで十分だぁ~(笑)